京都検定で京都について学習を深めていくうちに、(公式テキストには記載はないのですが)そこに住まう「京都人」とはどんな人々なんだろうか? 気質や暮らしぶりが気になってきた。
有名なぶぶ漬け伝説などを例に挙げ、「京都人」=「イケズ」というイメージが全国展開しておるようであるが、ホンマモンの「京都人」とはいかなる人物なのであろうか?
残念ながらオイラが今まで生きてきた中で、「京都人」と友情をはぐくんだり、愛をささやき合ったりしたことは一度もないのであった。
オイラの狭い交友関係の中で、地方出身の京都住まい者や、京都人とかかわった大阪人に聞き取り調査を実施してみたところ、みな一様に「『京都』は好きやけど『京都人』はキライ」とか、「『京都人』は裏表あるし」とか、「キホン、『京都人』はイケズでしょ」と大いに語り、「京都人万歳!」と高らかに叫ぶ人に一度もあったことがない。
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オイラが足繁く通う京都の山で出会う人々は、道を訊ねれば丁寧に教えてくれはるし、風がキツイ日にライターでタバコの火をともそうとしてもなかなか火がつかないとき、「ライター貸したげましょか?」と言うてくれはる。「写真撮りましょか?」とも言うてくれはったりとみな親切な人ばっかりなので、まったく「イケズ」という感じがしないのである。
はたして京都の山を歩いている人は、みな「京都人」なのだろうか?
否。オイラのように大阪から行っている人間もいるので、全員が「京都人」ということはないであろう。
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京都府下に住んでいる人々はみな「京都人」か?
否。「京都人」自身が定義する「京都人」は、ここに住んでいなければならないという限定されたエリアがあるようなのだ。
まず第一の条件。
「京都市内」に住んでいること。
なので、平等院がある宇治市在住や、男山八幡宮のある八幡市在住の人は「京都人」ではないことになる。
次いで第二の条件。
「洛中」に住んでいること。
ただ、この「洛中」というのがどのエリアを指しているのかに諸説ある。
「豊臣秀吉が築いた堤防(お土居)の内側」説。
「京都駅より北側の、道が碁盤の目になっているエリア」説。
「明治時代の京都市街地(旧上京区、下京区)」説。
さらに第三の条件。
上記エリアに親子三代以上にわたって住まう者。
ゆえに、第二条件の諸説をすべてクリアし、第三の条件を満たす者のみが「ホンマモンの京都人」と称することができるようである。
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そしてオイラは、さらに研究を進めていくうちに、「ホンマモンの京都人」の心の裡に脈々と受け継がれているアイデンティティーともいうべき一つの思想にぶち当たってしまったのだ。
そいつは「京都中華思想」という名で呼ばれている。
京都人が行きつけの「王将」や「天一」を持っているということでは毛頭ない。
▼ 京都中華思想を知るうえで、打ってつけの入門書がこれ。
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自然、オイラも京都中華思想にかぶれ始めており……極端な話、もう「京都」以外はどーでもエエように思ってしまうのだ。どないしょー。(*_*;
大阪都構想? はぁ? 大阪が「みやこ」ですのんか? そもそも「都」という意味はやね……(以下、割愛)。