
【内容紹介】
あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。
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おおっ、なんて直球すぎるタイトルの本なんやー!
先日、時代祭の帰り、丸善に寄った際に「京都人」研究の参考文献として買い求めた一冊。
平積みされてたんで、すぐ目に留まりました。
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著者の井上章一氏は花園生まれ、嵯峨育ち。現在は宇治に住んではる「洛外」の人である。
「京都人」を語るうえで、「洛中」「洛外」、「洛中人の中華思想」の基本概念は最も重要なことやとわかってましたが、第一章〈洛外を生きる〉では、井上氏が「洛中人」から直接受けた差別への恨みつらみが延々と綴られていて、(面白いねんけど)この本まるまる怨嗟を含んだグチ話に終始するんか!?
と思わせといて、第二章以降は、怨嗟をスパイスにしたタメになる(?)京都文化論、歴史論でありました。
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井上氏は文面の中で「洛中」エリアを明確に定義していないので、想像するに「洛中」とは、鉾町と西陣を中心に据えた碁盤の目になっている町あたりを指すんでしょうか?
「ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで……」
井上氏の体験されたイケズ話を読んでいると、「洛中」と「洛外」の間には深くて暗い川とヒエラルキーがあって、生来の中華思想を持った洛中人と接触するのがこわーなりますなあ。
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現世利益の生臭い坊さんの話も面白い。花街を支えてはるとはいえ、仏罰がこの世に存在していないことを、自ら率先して証明してはるんやろか?
お茶やお花の世界の話は出てきませんでしたが、オイラの妄想では、かなりドス黒いイメージなんですが、どないなんでしょう? 「表」とか「裏」とか、それだけでもいかがわしく感じられるのはオイラだけかいな?
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鳥居形のおひざ元の嵯峨で、昔は送り火のことを「大文字焼き」と言うてはったとは……初耳でした。観光業者や見物人には花火大会同等のイベント性があるにしても、直接たずさわってはる人々の苦労と気持ちは慮ってほしいなあと感じましたけど。
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「♪京都、大原、三千院」とか「♪京都、嵯峨野の直指庵」という歌を真に受けたオイラのような「よそさん」から見ると、「洛中」も「洛外」も同じ「京都」やと思てしまうんですが……そこへ住んでみないと感じられないこともありますわなあ。
実は、全国から「大阪民国」と十羽一絡げに揶揄されている大阪においても、地域間の差別意識は潜在的・顕在的にございます。
最後に井上氏も言及されてましたが、「洛外vs洛中の意識は似た者同士」の近親憎悪ということやと思いますけど、どないです?
▼ 本のタイトルから逸脱して、結局、井上氏の「東京ぎらい」がよくわかる本でした。
数字の七もそうですが、オイラは「質屋」を「ひちや」と言いますが、なにか?